海外 : 末日聖徒の歴史家ニブレー94歳で死去
2005年2月25日、ソルトレーク・トリビューンは以下のように報道しました。
モルモン教徒の学者の中で、(モルモンの)行き過ぎた実利主義、軍隊と狩りへの溺愛、またはそのキッチュな教会芸術について信者を酷評をしながらも、彼らに愛される息子でいられた者はそう多くない。教会の防御者の良き師であると同時に、LDS社会への批判者家であった者はさらに少ない。
そして子供たちにホメロスのオデッセイをギリシャ原典から英語に同時通訳しながらベットタイム・ストーリーとして語り聞かせることができたモルモンの思想家となると唯一人しかいない。
それがヒュー・ワインダー・ニブレーである。
ニブレーはモルモン聖典の学術的研究に着手していると思われていたが、この火曜日(2月22日)、95歳の誕生日を迎える数週間前にプロボの自宅で死去した。
ニブレーの末の娘ジーナと結婚し、二ブレーの伝記を執筆している義理の息子ボイド・ピーターソンはこう言った。「彼はモルモン研究のマップを作り上げました。次の世紀に学者たちが見るであろう基礎を据えたのです。学者たちのあらゆる世代に影響を与えました」
それは驚くべきことではない。ニブレーの学者としての莫大な仕事(何百ものエッセイ、15冊の本、学術的およびLDS教会出版物における多数の記事)は、モルモン・ライターの中で比べようのないものとなっている。
晩年でもニブレーはシェークスピアの悲劇、ワーズワースの詩にはじまり、それぞれの大陸で数千年を隔てた時代の難解な文章からでも長い一節を暗唱することができた。
彼が多くの末日聖徒を掌握していると感じさせるこじ付けには深い軽蔑の念をあらわしてきたが、それでも彼は末日聖徒イエス・キリスト教会とその指導者と聖典には疑うことのできない忠誠を示してきた。
ニブレーの業績の一つであるFARMS(古代調査とモルモン研究財団)の責任者ノエル・レイノルズはこう言った。「彼はバークレーで学問の最高の規範を学んだが、彼はまた信仰によっても導かれているというのは本当だった」
幼児期に、ニブレーの両親、ヒュー・アレクサンダー・ニブレーとアグネス・ニブレーは彼らの子供が普通でない贈り物だということを知らされた。
最初の知性テストにおけるニブレーの得点はそれほど印象的だったのである。そして、校長は9才のニブレー少年にこう言った。「あなたが9年の間眠りについても、目が覚めたら、あなたはまだ他の人より前にいるでしょうね」
17歳で高校を卒業した後、ニブレーは3年間、ドイツのLDS伝道部に従事した。そして1934年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校から歴史学の学位を与えられ、4年後には同大学バークレー校から古典の博士号を取得した。
1942年に陸軍に入隊し軍の情報部に従事するが、1944年6月6日のDディにはユタ海岸に上陸することとなった。
1946年9月18日、フィリス・アン・ホークス・ドラパーとソルトレーク神殿で結婚し、それからすぐにBYUでのキャリアが始まり、歴史、言語、宗教を教えた。
エジプト学者であり、ニブレーの未刊行の著書「ワン・エターナル・ラウンド」の編集を務めているジョン・ジーはFARMSのウェブサイトでこう言っている。「古典、古代史、モルモン史、教父学、モルモン書研究、そしてエジプト学と、多岐にわたる分野でヒューは学者として重要な貢献をした。彼は関連している一次資料、二次資料を原文で読むと言ってゆずらず、即座にアラビア語、コプト語、オランダ語、エジプト語、フランス語、ドイツ語、ギリシャ語、ヘブル語、イタリア語、ラテン語、古代スカンジナビア語、ロシア語その他の言語を即座に読むことができた」
著書「クモラより、砂漠の中のリーハイ」と「エジプトのアブラハム」は、ニブレーが古代ギリシャやローマ、中東に関する博学な知識を駆使して、末日聖典が信用に足るという類似点を見つけさせる名人と言ってよいことを証明している。ニブレーは、自身の1960年代のエジプト研究により、モルモン聖典「高価な真珠」の中の「アブラハム書」を守護する理想的な人物と見なされた。
ニブレーはまた機知にとんだ、しばしば刺すようなウィットを披露し、モルモンのオスカー・ワイルドのように思われた。保守的なユタ郡における屈強な民主党員は、マッカシー審理やベトナム戦争のただ中で、無益な忠義宣誓をしなければならないような、物議を醸し出し嫌がられる話題に関して意見を述べたのであった。
年中ニブレーは仕事に熱中していて、食事や靴をそろえて履くことも忘れる典型的なうっかり教授として伝説的になっていた。地味な帽子と中古のスーツとセーターを身にまとい、同じように控えめな家に40年以上住み、そこで8人の子供を育て上げた。彼のオフィスにはノートカードが堆く積み上げられ、手元のプロジェクトに目をくぎ付けにしていた。
しかし学者としての業績だけに関してニブレーを見るのは間違っていると、「軍曹ニブレー博士」というタイトルのドキュメンタリーを作成中の息子、アレックス・ニブレーは火曜日にこう語った。「知識人だと言われていますが、あの人の真髄はそうだと思ったことは一度もありません。彼は情熱とあふれる愛に満ちた人、愛を持った本当の人、自分の時間と知識を惜しみなく与える精神の持ち主です」
この10年間ヒュー・ニブレーは実の娘マーサ・ニブレー・ベックから、彼女が5歳のときに性的な虐待をしていたと訴えられていた。このたび出版される回顧録「聖徒たちとの別離:私はいかにしてモルモンを捨て自分の信仰を見出したか」の中で、ベックは父親の学問を糾弾し、LDS教会やBYU、自分の兄弟たちを風刺している。
フェニックスの自宅へ電話インタビューしたところ、木曜日の朝2時間ほど彼女は父親の存在を感じたと語った。「彼は美しく愛と喜びに満ちていました。矛盾しているように思われるかもしれませんが、私は父の思い出を尊重する人生の休息を過ごしたいと望んでいます」
ニブレーはその訴えを聞き入れず、今週ベックの7人の兄弟全員が彼女の本をふるいにかけ非難する声明書にサインした。それにはこう書かれている。「数え切れない誤り、欺瞞、矛盾、および総合的に歪曲した内容により、我々の家族歴史、人生の基本的事項、家族の習慣、父親の業績と(LDS教会の)基本的な前提事項をゆがめて伝えている」
ベックの父親の葬儀はプロボのLDSタバナクルで水曜日午後1時から行われるが、彼女は参加する予定にはなっていない。「それは大きなわずらいです」と彼女は言った。
ニブレーの家族と友人たちは、何物もニブレーの人生と信仰から注意をそむけさせることがないように願っている。アレックス・ニブレーはこう言った。「純粋な愛と純粋な精神、それが私の知っているあの人の真髄です。偉大な著作者や講師として以上に」 (ソルトレーク・トリビューン 2005年2月25日)
[この記事のニュース・ソース]

