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投稿者: sitemaster 投稿日時: 2007-2-7 9:01:24 (2758 ヒット)

ソルトレーク・トリビューン紙によれば、オレゴン州ポートランドで末日聖徒イエス・キリスト教会とそのボーイスカウト団体に対して、訴訟が起こされました。

1980年代に少年だった2人の兄弟が、末日聖徒イエス・キリスト教会のホーム・ティーチャー(すでに有罪と宣告されている)から性的虐待を受けた、それは教会とボーイスカウトにも責任があるというものです。

この元ホーム・ティーチャー、 Timur Van Dykes は、自分が信頼できる立場にいることを利用して少年や家族に近づこうとする性犯罪者として、マルトノマー郡司法当局のウェブサイトに掲示されているということです。

[この記事のソース]


投稿者: sitemaster 投稿日時: 2005-3-6 18:00:00 (1099 ヒット)

2005年3月5日、ニューヨーク・タイムズの「Faithful Track Questions, Answers and Minutiae on Blogs」という記事の中から、あるモルモン会員に関する部分を紹介します。短いですが、モルモン教会の会員には口には出さない不満が鬱積している実情を感じます。


 いろいろな面で、リサ・バターウォースはまさしくモルモンの献身者のイメージである。彼女はアイダホ州ボイシに夫と3歳を頭に3人の子供と住み、熱心に教会に出席し日曜学校で教えている。

 しかし彼女はウェブ・ログいわゆるブログ(FeministMormonHousewives.blogspot.com)を運営している。モルモン関係ブログの主流(それらはひっくるめて Bloggernacle と知られている)がたいてい信仰を持つ事を奨めるのとは違って、彼女のオンライン日記は、幼い子供を育てる母親の持つ一般的な難題や、末日聖徒イエス・キリスト教会における女性の役割の限界に対するフラストレーションに焦点が当てられている。

 「私は教会に本当に挫折を感じてました。教会の歴史やフェミニズムについて悩んでいたいろいろなことを話すことができなかったからです」と語る30才のバターウォースさんは昨年の夏、4人の友人とブログを立ち上げた。「私は教会をバッシングすることには興味がありませんでした。信仰を持ちながら自由でフェミニスト的な何かを探していたんです。でも見つけられなかった。だから自分で始めることにしたんです」

 優れた宗教によるブログのように、彼女のものは、興味を持つ者は多いが率先する者が少ない生き方をのぞき見させてくれるようである。(ニューヨーク・タイムズ 2005年3月5日)

[この記事のニュース・ソース]


[この記事で紹介したウェブ・ログ]


投稿者: sitemaster 投稿日時: 2005-3-1 18:02:00 (1306 ヒット)

2005年2月25日、ソルトレーク・トリビューンは以下のように報道しました。


 スポーツマン・トレーニング法案の通過の支持を得る際に、ウェーバー州立大学の陽気なフットボール・コーチ、ロン・マクブライドは、敏感な領域に踏み込んでしまった。それは宗教である。

 水曜日に下院議員と話をしている最中、マクブライト氏はこう言ったのだ。「(この法案に)賛成の方は右手を上げてその意を表してください。あ、それはモルモン教会でやってることでしたね」

 ほとんどの末日聖徒議員が引きつって笑う中で、グレッグ・カーティス下院議長はコーチを穏やかに諭した。

 カーティスは言う「我々はここで教会と州を混同することに危険なほど接近している。」

 ユタ州議会でこれまでになかったほど、その境界線がぼやけてきている。(ソルトレーク・トリビューン 2005年2月25日)

[この記事のニュース・ソース]


投稿者: sitemaster 投稿日時: 2005-3-1 18:00:00 (1185 ヒット)

2005年2月25日、ソルトレーク・トリビューンは以下のように報道しました。


 モルモン教徒の学者の中で、(モルモンの)行き過ぎた実利主義、軍隊と狩りへの溺愛、またはそのキッチュな教会芸術について信者を酷評をしながらも、彼らに愛される息子でいられた者はそう多くない。教会の防御者の良き師であると同時に、LDS社会への批判者家であった者はさらに少ない。

 そして子供たちにホメロスのオデッセイをギリシャ原典から英語に同時通訳しながらベットタイム・ストーリーとして語り聞かせることができたモルモンの思想家となると唯一人しかいない。

 それがヒュー・ワインダー・ニブレーである。

 ニブレーはモルモン聖典の学術的研究に着手していると思われていたが、この火曜日(2月22日)、95歳の誕生日を迎える数週間前にプロボの自宅で死去した。


 ニブレーの末の娘ジーナと結婚し、二ブレーの伝記を執筆している義理の息子ボイド・ピーターソンはこう言った。「彼はモルモン研究のマップを作り上げました。次の世紀に学者たちが見るであろう基礎を据えたのです。学者たちのあらゆる世代に影響を与えました」

 それは驚くべきことではない。ニブレーの学者としての莫大な仕事(何百ものエッセイ、15冊の本、学術的およびLDS教会出版物における多数の記事)は、モルモン・ライターの中で比べようのないものとなっている。


 晩年でもニブレーはシェークスピアの悲劇、ワーズワースの詩にはじまり、それぞれの大陸で数千年を隔てた時代の難解な文章からでも長い一節を暗唱することができた。

 彼が多くの末日聖徒を掌握していると感じさせるこじ付けには深い軽蔑の念をあらわしてきたが、それでも彼は末日聖徒イエス・キリスト教会とその指導者と聖典には疑うことのできない忠誠を示してきた。

 ニブレーの業績の一つであるFARMS(古代調査とモルモン研究財団)の責任者ノエル・レイノルズはこう言った。「彼はバークレーで学問の最高の規範を学んだが、彼はまた信仰によっても導かれているというのは本当だった」


 幼児期に、ニブレーの両親、ヒュー・アレクサンダー・ニブレーとアグネス・ニブレーは彼らの子供が普通でない贈り物だということを知らされた。

 最初の知性テストにおけるニブレーの得点はそれほど印象的だったのである。そして、校長は9才のニブレー少年にこう言った。「あなたが9年の間眠りについても、目が覚めたら、あなたはまだ他の人より前にいるでしょうね」

 17歳で高校を卒業した後、ニブレーは3年間、ドイツのLDS伝道部に従事した。そして1934年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校から歴史学の学位を与えられ、4年後には同大学バークレー校から古典の博士号を取得した。

 1942年に陸軍に入隊し軍の情報部に従事するが、1944年6月6日のDディにはユタ海岸に上陸することとなった。

 1946年9月18日、フィリス・アン・ホークス・ドラパーとソルトレーク神殿で結婚し、それからすぐにBYUでのキャリアが始まり、歴史、言語、宗教を教えた。


 エジプト学者であり、ニブレーの未刊行の著書「ワン・エターナル・ラウンド」の編集を務めているジョン・ジーはFARMSのウェブサイトでこう言っている。「古典、古代史、モルモン史、教父学、モルモン書研究、そしてエジプト学と、多岐にわたる分野でヒューは学者として重要な貢献をした。彼は関連している一次資料、二次資料を原文で読むと言ってゆずらず、即座にアラビア語、コプト語、オランダ語、エジプト語、フランス語、ドイツ語、ギリシャ語、ヘブル語、イタリア語、ラテン語、古代スカンジナビア語、ロシア語その他の言語を即座に読むことができた」

 著書「クモラより、砂漠の中のリーハイ」と「エジプトのアブラハム」は、ニブレーが古代ギリシャやローマ、中東に関する博学な知識を駆使して、末日聖典が信用に足るという類似点を見つけさせる名人と言ってよいことを証明している。ニブレーは、自身の1960年代のエジプト研究により、モルモン聖典「高価な真珠」の中の「アブラハム書」を守護する理想的な人物と見なされた。

 ニブレーはまた機知にとんだ、しばしば刺すようなウィットを披露し、モルモンのオスカー・ワイルドのように思われた。保守的なユタ郡における屈強な民主党員は、マッカシー審理やベトナム戦争のただ中で、無益な忠義宣誓をしなければならないような、物議を醸し出し嫌がられる話題に関して意見を述べたのであった。


 年中ニブレーは仕事に熱中していて、食事や靴をそろえて履くことも忘れる典型的なうっかり教授として伝説的になっていた。地味な帽子と中古のスーツとセーターを身にまとい、同じように控えめな家に40年以上住み、そこで8人の子供を育て上げた。彼のオフィスにはノートカードが堆く積み上げられ、手元のプロジェクトに目をくぎ付けにしていた。

 しかし学者としての業績だけに関してニブレーを見るのは間違っていると、「軍曹ニブレー博士」というタイトルのドキュメンタリーを作成中の息子、アレックス・ニブレーは火曜日にこう語った。「知識人だと言われていますが、あの人の真髄はそうだと思ったことは一度もありません。彼は情熱とあふれる愛に満ちた人、愛を持った本当の人、自分の時間と知識を惜しみなく与える精神の持ち主です」


 この10年間ヒュー・ニブレーは実の娘マーサ・ニブレー・ベックから、彼女が5歳のときに性的な虐待をしていたと訴えられていた。このたび出版される回顧録「聖徒たちとの別離:私はいかにしてモルモンを捨て自分の信仰を見出したか」の中で、ベックは父親の学問を糾弾し、LDS教会やBYU、自分の兄弟たちを風刺している。

 フェニックスの自宅へ電話インタビューしたところ、木曜日の朝2時間ほど彼女は父親の存在を感じたと語った。「彼は美しく愛と喜びに満ちていました。矛盾しているように思われるかもしれませんが、私は父の思い出を尊重する人生の休息を過ごしたいと望んでいます」

 ニブレーはその訴えを聞き入れず、今週ベックの7人の兄弟全員が彼女の本をふるいにかけ非難する声明書にサインした。それにはこう書かれている。「数え切れない誤り、欺瞞、矛盾、および総合的に歪曲した内容により、我々の家族歴史、人生の基本的事項、家族の習慣、父親の業績と(LDS教会の)基本的な前提事項をゆがめて伝えている」

 ベックの父親の葬儀はプロボのLDSタバナクルで水曜日午後1時から行われるが、彼女は参加する予定にはなっていない。「それは大きなわずらいです」と彼女は言った。

 ニブレーの家族と友人たちは、何物もニブレーの人生と信仰から注意をそむけさせることがないように願っている。アレックス・ニブレーはこう言った。「純粋な愛と純粋な精神、それが私の知っているあの人の真髄です。偉大な著作者や講師として以上に」 (ソルトレーク・トリビューン 2005年2月25日)


[この記事のニュース・ソース]


投稿者: sitemaster 投稿日時: 2005-2-18 18:01:00 (346 ヒット)

2005年2月18日、ニューヨーク・タイムズは以下のように報道しました。


 ゲイおよびレズビアンの団体から批判されているアメリカ医療協会(AMA)の会長は、木曜日(2月17日)、ゲイ学生グループの活動を禁止する決定をしたローマカトリック教会系の医療スクールを擁護した自分の発言が、ある新聞記事で引用され、その中で自分の意見がゆがめられて伝えられていると発言した。

 ニューヨークの「ザ・ジャーナルニュース・オブ・ホワイトプレーン」によれば、ジョン・ネルソン博士はニューヨーク・メディカル・カレッジ(NYMC)がおこなった禁止措置を、ブリガム・ヤング大学の決定と同じように見なしていると言う。ブリガム・ヤング大学はレイプ事件で告発された4人の元フットボール選手を出場停止にするとともに、モルモン系列の学校は学内でカフェインの入ったソフトドリンクの許可を取り消している。

 ゲイ・レズビアン医療協会の執行責任者であるジョエル・ジンスバーグは、ネルソンの比喩は同性愛問題を矮小化し犯罪視するものであるとして、彼の組織に対する不満を爆発させ、「彼のコメントは不適切であり人を傷つけるものです」と言った。

 ネルソンは、2月12日の記事の中で自分のコメントが「はなはだしくゆがめて伝えられた」との声明を木曜日に出し、「記事を読んで気分を害したならばいかなる人にでも謝罪したい」、しかしその記事は「私の意見やAMAの方針を示すものではない」と言った。

 問題となっている新聞の上級管理編集者をつとめるシンデー・ロイルは、リポーターはインタビューをテープ録音していいるが、ネルソンもAMAも訂正を要請してこなかったと語った。

 「我々はまさにこの出来事の側に立っているのです」とロイルは言った。

 AMAは、ニューヨーク州ヴァルハラのローマカトリック教会管区に属する医療スクールがゲイ学生グループの活動を禁じた措置を支持しない、と言っている。

 リポーターであるキース・エディングの記事によれば、ネルソンが言ったのは、ゲイは尊厳と尊敬をもって遇されねばならない。しかしゲイ学生の人権は、プライベート・スクールが独自の方針をたてる権利とバランスのとれたものでなければならない、という内容である。

 「たとえば、あなたがブルガム・ヤング大wに行くとしましょう。私の息子は行くかもしれませんがね。あそこではしてはいけないことがはっきりしているんです。学内でコカコーラは飲んではいけない、それはルールに反するからです」と発言したと書かれている。

 それから、BYUの元フットボール選手の出場停止に言及し、「彼らはチームをやめろと言われているそうだ。大切なことはルールには従わなければならない、ということです」
とネルソンが発言したと書かれている。

 NYMCの学生で、ゲイ学生グループの会長をつとめるジョシュア・サハラ(27)は、ネルソンのした比較は攻撃的である、このグループはゲイの健康に関する問題を支援しているが、昨年秋、その名前を「医学界のゲイ、レズビアン、バイセクシャルおよびトランスジェンダーたち(Gay, Lesbian, Bisexual and Transgender People in Medicine)」と変えた後で活動を禁止された、学生をサポートするグループに変わりは無かったのに、と言った。

 NYMCのスポークスマン、ドナ・モリアティは、以前の名称であれば同性愛問題を強調しすぎることはなかった、学校は差別をしているのではない、しかし「カトリックの伝統の中ではその独自性を守り抜く」権利があるのだ、と言った。(ニューヨーク・タイムズ 2005年2月18日)

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