モルモン書の本文の前に、三人の証人の証、八人の証人の証が記載されています。彼らはモルモン書の翻訳の元となった金版を実際に見たと証言しています。
しかし、興味深いことに彼らのうち多くの人が後にモルモン教会を去っているのです。そのことについて考えてみたいと思います。
三人の証人
名前 |
出生と死亡 |
職業 |
教会との関係 |
オリバー・カウドリ
(Oliver Cowdery) |
出生:1806/10/3
バーモント州
ウェルズ
死亡:1850/3/3
|
教師 |
1829年ジョセフ・スミスJrと互いに
バプテスマを施し合う。
1838年に破門されるが、
1848年に教会に戻る。 |
デビッド・ホイットマー
(David Whitmer) |
出生:1805/1/7
ペンシルベニヤ州
ハリスバーグ
死亡:1988年 ? |
|
1829年ジョセフ・スミス・Jrによって
バプテスマを受ける。
1838年教会を離れる。
教会に戻ることはなかった。 |
マーティン・ハリス
(Martin Harris) |
出生:1783/5/18
ニューヨーク州
ワシントン郡
死亡:1875/7/10
ユタ州クラークストン |
農夫 |
1830/4/6オリバー・カウドリによって
バプテスマを受ける。
1837年12月破門される。
1842/11/7再度バプテスマを受け、教会に戻るが、その後、ふたたび教会を離れる。
1870/9/17再々度バプテスマを受ける。 |
八人の証人
名前 |
出生と死亡 |
職業 |
教会との関係 |
クリスチャン・ホイットマー
(Christian Whitmer) |
出生:1798/1/18
ペンシルベニヤ州
ハリスバーグ
死亡:1835/11/27
ミズーリ州クレイ郡
|
靴屋 |
1830/4/11バプテスマを受ける
生涯教会員だった。 |
ジェコブ・ホイットマー
(Jacob Whitmer) |
出生:1800/1/27
ペンシルベニヤ州
ハリスバーグ
死亡:1856/4/21
ミズーリ州リッチモンド
|
靴屋 |
1830/4/11バプテスマを受ける
1838年、教会を離れた。 |
ピーター・ホイットマーJr
(Peter Whitmer Jr.) |
出生:1809/9/27
ニューヨーク州
フェイヤット
死亡:1836/9/22
ミズーリ州クレイ郡
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仕立屋
農夫 |
1829/6バプテスマを受ける
生涯教会員だった。 |
ジョン・ホイットマー
(John Whitmer) |
出生:1802/8/27
ペンシルベニヤ州
ハリスバーグ
死亡:1878/7/11
ミズーリ州ファーウェスト
|
農夫 |
1829/6バプテスマを受ける
1838/3/10破門された。 |
ハイラム・ページ
(Hyrum Page) |
出生:1800/?/?
バーモント州
死亡:1852/8/12
ミズーリ州エクセルシアー |
医者
農夫 |
1830/4/11バプテスマを受ける
1838年、教会を離れた。 |
ジョセフ・スミス・シニア
(Joseph Smith) |
出生:1771/7/12
マサチューセッツ州
死亡:1840/9/14
イリノイ州ノーブー |
農夫 |
1830/4/6バプテスマを受ける
生涯教会員だった。 |
ハイラム・スミス
(Hyrum Smith) |
出生:1800/2/9
バーモント州
タンブリッジ
死亡:1844/6/27
イリノイ州カーセージ |
農夫 |
1829/6バプテスマを受ける
生涯教会員だった。 |
サミュエル・H・スミス
(Samuel H. Smith) |
出生:1808/3/13
バーモント州
タンブリッジ
死亡:1844/7/30
イリノイ州ノーブー
(毒殺されたという説がある) |
農夫 |
1829/6バプテスマを受ける
生涯教会員だった。 |
(職業はモルモン書の証人となった当時のもの)
モルモン教会では、モルモン書が実際に古代の版から翻訳されたと主張していますし、そのことが教会員の信仰のよりどころとなっているのが現状です。しかし、金版を見たという人たちが次々と離れていったいう事実に向き合って、どのような答えが出てくるでしょうか?ある人は、このことを根拠にモルモン書は作り話だというでしょう。そのように受け止められるのは当然だと思います。これに対しモルモン教会では、三人の証人、八人の証人たちが教会を離れてもモルモン書を否定したことはなかったので、金版は実在したのだと主張しています。では、なぜ彼らは教会を離れたのでしょうか?
デビッド・ホイットマーの残した「An Address to all believers in Christ」はその疑問に対する一つの答えかも知れません。これは英文で長文ですが、ぜひ多くのモルモン関係者に読んでいただきたいと思います。
私は、モルモン書を受け入れる受け入れないは個人の自由だと思います。モルモン書が私に与えた影響は大きいもので、私にとっては意味のあるものですが、他の人にとってもそうであるとは言えないでしょう。とくにそれを聖典と信じてきたモルモン教会が多くの問題を抱えていることを思うと、モルモン書を強く勧めることははばかられてしまいます。
モルモン書を神の言葉と信じている人に申し上げたいと思います。モルモン書を信じること・イコール・末日聖徒イエス・キリスト教会に所属することではありません。現実に、モルモン書を信じている宗派は驚くほどたくさんあるのです。何よりも、金版の証人たちが教会を離れたことについての教会側の主張をよく考えてみてください。
彼らは教会を離れたがモルモン書は否定しなかった・・・ |
と、モルモン教会自身がこのように言ってるのです。ということは、
教会を離れることがモルモン書を否定することにはならず、神からの祝福を失ったり、救いから外れることにもならない。 |
ということです。実際、人々が教会を離れていくのはほとんどの場合、教会側に問題があります。離れていった人に問題があるのではありません。教会の抱える問題のために離れていった人が救われないと考えるのははなはだ不条理です。
また様々な理由からモルモン書に疑問を持つようになり、モルモン書を否定することになったとしても、それはキリストを否定することではありません。なぜならモルモン書の執筆者(それが古代の預言者であるかジョセフ・スミス・Jrかは問わず)自身が、その中に不完全なところがある、人の犯した誤りがあると認めているからです。(モルモン9:31-33、とびらの言葉) モルモン書が拒まれることになったとしても、それは読者に信仰が弱いとか何か問題があるのではなく、モルモン書がもともと欠点を持っているためなのです。そういうことから考えれば第2ニーファイ33章10の「これらの言葉を信じなくても、キリストを信じなさい。」とは、モルモン書の中に存在する欠点のためモルモン書を拒むことになってもキリストは拒まないで欲しいという執筆者の願いであり、「キリストを信じれば、これらの言葉を信じるようになるであろう。」とは、読者に対する希望であると理解すべきです。この文章から「モルモン書を信じられないのはキリストを信じていないからだ」という解釈をする必要はありません。同様に、モルモン書8章12は、モルモン書には不完全な点があるため補って読むようにというすすめであり、同章17は執筆者は注意深く記述したつもりだが誤りの存在する可能性も残っているという意味だと理解すべきです。
モルモン書については科学的、歴史的な観点から多くの研究者が「本当の古代の記録からの翻訳であるとは言えない」と結論を出しています。それでは、モルモン教会員はモルモン書を否定すべきなのでしょうか?悲しいことに教会は、モルモン書が金版からの翻訳であることを信じるという信仰しか教えていません。モルモン書の内容から何を学ぶか、信仰の糧とする言葉はあるかといったことよりも、それも教えてはいますがそれよりも、金版の存在をまず認めなければならないのです。ですから会員が金版の存在に疑問を持った場合、もうモルモン信仰は続けていけません。教会がそういう信仰しか教えていないからです。
教会はモルモン書について教えるときに、その歴史的記述の部分が科学的にはどのような見解が出されているかも知らせるべきです。その上で、金版は存在せずモルモン書はジョセフ・スミスの創作物と思うが、その中にはいろいろいいことも書いてあるので聖典として学んでいきたいという信仰者も、金版の存在を信じる信仰者も、受け入れるようにするべきではないでしょうか?。そうしなければ、いつまでたっても良心的な解釈がなされることはなく、教会がいくら熱心に伝道活動を続けてモルモン書を世界に広め、「信じようとする望みを持つ」人を多く招き入れたとしても、結局は逆にモルモン書の否定者を増加させているだけになるのです。